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バクタプール

カトマンズ盆地三都の中でも、かつての盆地のありさまをそのまま残して生活している街がバクタプールでしょう。昔のネパールってどんなとこ?と思ったら、とりあえずバクタプールを訪れるのが最も近道と言えます。文化文明にいかに恵まれていた街か、というのは、そびえ立つパゴダ様式の寺院や大寺院、その周辺で今も作り続けられている陶器や彫刻類をひと目見て頂ければ、言を待たずしておわかり頂けることでしょう。パゴダ様式寺院は神々のおわす天に向けて昇っていくための足場だと今も信じられており、王宮広場での伝統祭祀は、かつて科学や通信のなかった時代に引けを取らない尊信と渇仰をもって、今なお熱狂的に繰り広げられています。

当時カトマンズ盆地の覇者であったヤクシャ・マッラ王(King Yaksha Malla)が、1482年に自らの領地を3人の皇太子たちに分け与える決断を下すまで、バクタプールは盆地周辺を治めていたヤクシャ王の拠点であり、一帯を統治する王都でした。ヤクシャ王の決断は、のちのゴルカ王朝・シャハ家によるカトマンズ攻略・ネパール全土統一の発端となりますが、当時のバクタプールはマッラ式レスリング(Malla Yuddha、一対一の戦闘試合)でその名を馳せていました。個別の技比べから始まり、徐々に相手と組み合っての技比べ力比べに移行していくこのレスリング形態は、最後には制限無し、噛みつき目つぶし等なんでもありの、文字通りの死闘で優劣を決する格闘技で、アジア圏のレスリングに大きな影響を与えたといわれています。バクタプールの街で筋骨隆々の彫刻を多く見かけるのは、マッラ式レスリングの本場であったことの名残だといえるでしょう。

ほかの二都市もそうですが、バクタプールの地元民は自らがバクタプリアンであること、旧称・バドガオニ(Badgaoni)であることに心底誇りを持って暮らしています。道の脇に目をやれば、かたくなに古式ゆかしいネワール衣装しか身にまとわない女たちが、古いけれども画になる精巧な彫刻が施された蛇口のある町内の水場で、あけっぴろげに衣服を手洗いしているのを普通に目にします。男は村の規律と文化を保護し、女は家とこどもを守って生きる、という精神が、今も脈々と息づいています。街全体の土台となっている農家が、あちらこちらで新鮮な野菜や果物、主食となる穀類を豊富に取り引きして歩いています。バドガオンという旧称の意味が、バート(ゴハン)のガオン(村)であることを思えば、この光景も推して知るべし。「王のヨーグルト(ジュジュダウ)」と呼ばれる絶品ヨーグルトがここバクタプールで楽しめるのも、こうした歴史背景に由来しています。

カトマンズ、ラリトプールと比較すると、いまどきの流行りを一旦せき止め、自らの道をゆっくりと進んでいるように映るバクタプール。ティハール(Tihar)祭の美しさ、ビスケットジャトラ(Bisket Jatra)の熱狂、ナガルコットでのジャンクリ(Jhankris)の戦慄など、既成概念をたたき壊してくれるネパールに巡り会えるかもしれません。

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